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仮面舞踏会へようこそ

ここ(電脳の世界)は、ある種僕の第二の住居だといえる。
現世とは違う名前(HN)を持つことによって、違う自分になれる…気がする。
現世ではやらないが、ここでは自分を本心をさらけ出すことができる…気がする。
そんな、気持ちのいい世界だから、僕は睡眠時間を削いででも住まう。

しかし、この電脳の世界は、仮面をかぶった住民ばかりだ。
本心などで語るはずが無い。当然温かみも生まれない。
そして、自分も仮面をかぶっている。
つまり、僕自身も本心で物事を語ってはいない。
上のことと矛盾すると思うかもしれない。
しかし、上のことも「仮面をかぶった」僕が話していることなのだ。
つまり、本心とは限らない。
本心の「つもり」ではいるが。

また、そんな仮面をかぶった「温度の無い」住民ばかりの世界なのに、
何故こんなに気持ちいいと感じるのか。
実はこの「気持ちいい」と感じていることすら、本心ではない可能性がある。
仮面をかぶった自分の「本心」を、仮面の上から探ろうとしているから。
自分の本心は自分から独立した場所。
一種の他人。
だから、自分の「本心」などわかりはしない。
そう、すべては自分の心の本当の姿(本心)がわからないからといって、
本心だと勝手に決め付けてきたまでのこと。
ここで、自分の本心を「友人に対する自分のイメージ」、それを決め付ける部分を「自分」としよう。
友人に対する自分のイメージは常に一定では無い。
例えばいつもとなんら変わりないのに「今日なんか元気ないね」とか言われた経験は無いだろうか?
それは、自分自身は変わりないが、声をかけてくれた人の「心の状態」によるものだ。
この場合、上で言っていることとは逆の立場になるが、立場を入れ替えて考えてみよう。
…ほら、友人にそうやって言った経験があるでしょ?
つまりその時、その一瞬、その刹那の友人のイメージを自分が決め付け、
その無理矢理決め付けられた友人のイメージががそのときの「友人の姿」となるのだ。
だいぶ話がそれたが、
つまり、自分の本心はそのときどきによって変わるものだ。ということだ。
だから、今感じているこの「気持ちよさ」も、いつかは「気持ち悪さ」に変わるときが来るかもしれない。

結局、今いえることは、
ひとつは、この電脳の世界には夢も希望も温かみも無い。
あるのは仮面を通して発せられる「虚心」のみ。
そしてもうひとつは、電脳の世界の住人は、僕のように現世に存在する「人間」であるということ、
僕のように本心の「つもり」で語っている人が多勢いるということ、
だから、ネット上は「仮面舞踏会」とは限らないということ。
この2つの論に対し、どちらで捉えるか、それはその人次第ですが。

最後にひとつ
上で述べたことは今の僕の仮面を脱いだ(つもりの)本心であるということ。